福岡高等裁判所 昭和59年(う)659号 判決
所論は要するに,現行犯人逮捕手続書によれば,福岡県宗像警察署司法巡査吉田義行,同長沼廣臣の両名は,被告人運転の車を発見し,職務質問をすべくこれを追尾停止させ,被告人に対し事情聴取のためにパトカー内に乗るよう指示すると共に被告人が所持していた財布の提示を要求したところ,被告人がパトカー内への乗車を頑強に拒否すると共に「何も入っていない」と大声で言いながら両巡査を振りきって約10メートル逃走したため,両巡査は被告人に追いつき腕を掴み,暴れる被告人をパトカーに乗せ宗像警察署鐘崎駐在所まで任意同行した旨の記載があり,これによれば,右両巡査は被告人を無理矢理に右駐在所に連行したというのであって,この連行行為は明らかに任意処分の限界を超えており,覚せい剤取締法違反罪の現行犯人として被告人を逮捕した本件逮捕手続には令状主義の精神を没却する重大な違法があり,これによって得られた本件証拠はいずれも証拠能力を欠くものと解すべきであるのに,証拠能力のない右証拠を原判示事実認定の資料に供して被告人を有罪と認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。
よって,検討するに,なるほど現行犯人逮捕手続書中には被告人をパトカーに乗せたことにつき,所論が指摘するような記載があって,その記載部分だけからすると,あたかも吉田,長沼両巡査において職務質問を嫌って暴れる被告人を無理矢理にパトカーに乗せて約300メートル離れた駐在所まで連行したかの観がないでもないが,被告人の検察官に対する供述調書や被告人の当審での供述によれば,被告人は,紺色のシヨートパンツをはき,右パンツと肌の間に本件覚せい剤入りの財布を挾み,右パンツと揃いの色のシヤツは肩に掛けて上半身は裸の姿で,末だ入籍前であったA女を助手席に乗せて乗用車を無免許で運転していたところ,すれ違ったパトカーに乗務中の吉田,長沼両巡査に見とがめられたため急ぎ助手席のA女を運転者に仕立てようと工作し,免許証の提示を求められた際も被告人は免許を持たないから運転はしていない旨を述べて乗用車を運転していたこと自体を否定する態度に出,続いて前記覚せい剤入りの財布の提示方を求められるや,右財布を手に掴んで「なぜ見せなきゃいけないのか」と言って拒否する態度に出たため,1人の警官から片腕を掴まれ,それまで内妻から事情を聞いていたもう1人の警官からもう一方の腕を握られ肩を押えられたうえ,「パトカーに乗れ」と言われたため,被告人としても最早観念し,このうえは200~300メートル先方にいる被告人が所属する劇団の団員や被告人の親たちに覚せい剤所持の件で迷惑をかけることとなった自分の不始末を一言詫びたい気持から,一言皆に謝らして欲しい旨言いつつ2人の警官を引きずるようにしてその方向へ3,4メートル動いたものの,これを諦め「ついて行きますから手荒らなことはせんでくれ」と言って自分から進んでパトカーに乗り込んだというのであり,これら被告人の供述するところに基づいて判断すると,まず,吉田,長沼両巡査において被告人が何らかの犯罪を犯したものと認めて被告人に対し職務質問を開始したことは警察官職務執行法2条1項の規定に則った適法なものであり,被告人のその折の風体や異常な挙動からシヨートパンツと肌の間に挾みこんだ財布の在中物を怪しみその提示を求めたのに対しても,被告人において自ら進んで同巡査らの抱く疑念を晴らそうとする態度に出るどころか,却って右財布を手に掴んで「なぜ見せなきゃいけないのか」と拒否する態度に出たため,両巡査において更に引き続き職務質問を続ける必要を認めると共に,職務質問を続ける場所としてわずか300メートル程の距離にある駐在所を使用することにして被告人に対しパトカーへの乗車を促したことも自然の成り行きであって何ら違法のかどはなく,被告人としても自己所属の劇団員や親たちに一言謝罪する機会こそ奪われたかも知れないが自ら進んでパトカーに乗り込んでおり,その意に反して駐在所に連行されたといった事実関係にないし,現行犯人逮捕手続書も,被告人の供述するところをあわせると劇団員等に詫びたい気持から2人の警官を引きずるようにしたことと進んでパトカーに乗り込んだことを区別せず,その経過を簡単に,暴れる被告人をパトカーに乗せた旨記載したものと考えられるから,被告人を無理矢理に駐在所へ連行したことを前提とする所論は採りえない。ただ,被告人がパトカーに乗り込む以前の一時期,1人の巡査が質問を続行すべくすでに被告人の片腕を掴んで停止させているのに,更にもう1人の巡査が被告人の腕や肩に手をかける行為にまで出ていたとすれば,それは警察官に許容された職務執行の範囲を逸脱した行為であるとの評価を容れる余地も存することとなるけれども,それまでの被告人の前述のような異常な挙動や反抗的な態度に対応して急きょ協同して採られた処置であったことを考慮すれば,その瑕疵をもって令状主義の精神を没却する程に重大なものとはいうことができない。更に記録を精査しても他に本件逮捕手続に違法があってこれによって得られた本件証拠の証拠能力を欠くものと解すべきことを窺わせるものはない。してみると,原判決挙示の証拠を原判示事実認定の資料に供した原判決に何ら訴訟手続の法令違反はない。